檸檬(れもん)/ 梶井基次郎

<7日間ブックカバーチャレンジ>



きっと皆さんおひとりおひとり「心の作家」「心の作品」というようなものがあるのではないかと思います。

あなたの心の作家は誰ですか? って聞かれて、一番最初に思い浮かぶ人だったり、作品です。

本がすごく好きなわけではなく、最後まで読んだ本はごくわずか、しかもほとんど忘れてしまっていたりする私ですが、そう言われてたぶん最初に思い浮かぶであろう作家・作品がこの梶井基次郎の「檸檬」です。

不思議なことですが、この本(ご存知の方も多いと思いますが、「檸檬」自体はすごく短い小説で、この本は短編集です)に関わる思い出を、何も語ることができません。なぜ知ったかも忘れてしまいました。

おそらく高校生くらいで初めてこれを読んで、それから何回か、人生のある地点で、この本のいくつかの作品を読み返しています。(その思い出も思い出さないのも不思議なのですが)

今回も、久しぶりに手にして、もう真っ茶色になったページの小さな活字(活字自体が今より小さいのと、私の目が弱っているのと2つの意味で)を少したどってみました。

ああそうだったと思い出すところもあるけれど、旧いと感じない、思い出も無い、書かれたその光景と語られる感情だけがあると言えばいいのだろうか、そのことに少し驚きました。
自分自身はいろいろ経験してずいぶん変わったと思うのだけど、それでも今も色あせることなく、語られていることが生き生きとしているのです。

逆に言うと、どんなに時間が経ってどんな経験をしようと、もともと持っている自分の中にあるその核のような感情・感触は変わらないとも言えるのかもしれない。

きっと「心の・・・」というのはそういうものなのでしょう。

ひとつの分野に1人くらい、好きとか嫌いとかを越えて、絶対的に、自分が思う感じをそのまま表現してくれる特別な作家がいる。私にとっては、映画ではヴィム・ヴェンダースで、絵画ではパウル・クレー。

そうそうーって、もう圧倒的な共感を感じる人と言えばいいのだろうか。

私だけが持つごく個人的な感触だと思っていた言葉にできないものを、その人が語り出すというか、そういう感覚だ。

本自体の題名にもなっている「檸檬」という作品を今回改めて読んで思ったのは、視覚的な感覚、特に色彩が美しいこと、触感があり、空間の錯誤があり、作品として、何かひとつのオブジェのようなクールな距離感があって、それと黄色い紡錘形のレモンのフォルムとが重なりあって、それがこの作品の輝きを作りだしているように思った。

私はもちろん、八百屋さんでもスーパーでも、レモンを見たり手にしたりするたびに、この「檸檬」のことを思います。

そして、当然と言えば当然だけど、まだこの「檸檬」に見合ったようなレモンを見たことがないのです。


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