無伴奏チェロ組曲 / 鈴木秀美 

<7日間ブックカバーチャレンジ> ⑦

題名は無伴奏チェロ組曲とだけあるようだけど、表紙の写真にあるように、”バッハの”です。


ダラダラと休み休み続けて、最後にすごく長いお休みをいただいての最終回<7日間ブックカバーチャレンジ>ですが、「どっちに行こうかなぁ。」と思いながら、こちらに来ました。

一応、最初に思ったテーマとしては、「振り返ってみて、私が強いインパクトを受けたと思う本、強く印象に残っている本をご紹介」ということでした。

この本をご紹介するのを少しためらうのは、、、、全部読んでない、、、からでした。

でもやはりこの本は、上のテーマ、つまり「忘れ得ぬ本たち」にはばっちりハマっているので、まあいいかなあという結論になりました。

この本に巡り合ったのはかれこれ10年弱くらいまえではないかと思います。それまでどのように音楽をしていたかは今はっきり思い出せないくらい、このころから、その何というか頭で考えていることがかなり違ってきたように思います。

以下は、この本の組曲第1番アルマンドの項に書かれている文章の抜粋です。


『この「和声の骨組み」というものこそは音楽のストーリーだと思うのです。これをうまく追っていけると、その話を良くわかったような気がしたり、その音楽を理解したと感じたりするのではないでしょうか。よく「いやぁ私はバッハは良くわかりませんから」とか「この曲は良く知らないので」とか「音楽はわかりません」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、では「音楽をわかる」とはどういうことでしょうか・・・。そんなこと音楽家に質問しないでくださいね(笑)。それは千差万別、人それぞれ、その日その日の解り方も違います。しかし、今言いましたように、「最初こうだったのに、こんなところへ来てしまった」とか、そして「最後はめでたく帰って来られた」とかいうふうに和声の筋書きを追えると、その時間その曲と一緒に生きたような感覚が持てるのではないでしょうか。
それは、あの人の指遣いが凄いとか、あんなところをよく小指で弾けるねとか(笑)、指がポンと凄い音がしたとか、凄い速さで弓が動いたとか、そんなことよりもよほど重要であり、また楽しいのです。音楽学校に行って専門職になりますと、技術的なことばかりが気になると時もありまして、それで和声の話になると「ちゃんと授業に出なかったから・・・」と言う人もいるのですけれど、それでは本末転倒ですね。』


ちょうどこのころ、この本ばかりではなく、楽器を習っている先生のおっしゃっていること、音楽のセンスがよいなと思う友達がアンサンブルの練習を一緒にする中で言うこと、発表会の打ち上げの会話の中で、同じようなことが語られていることに気づきました。

自分でいろいろ経験し試行錯誤するなかで、そういう言葉が自分の中に入ってくるタイミングというのもあるのだと思います。

音楽学校に行ってなくても、技術的なことは気になります。そして、日常生活の動きも衰えている中で到底今の歳からたぶん無理であろう訓練というのはあると思います。まあ頭も同様に衰えているわけではあるけれど、楽器を演奏する努力をするにあたって、少ない資源を自分は何に費やしたいかという、そういうことかもしれません。

それまでは、「練習してある程度弾けるようになってから音楽のことを考える」と思っていたかもしれません。でもそれは少なくとも私にとっては適当な手順ではないということに気づいたのです。

まず第1に「ある程度弾けるようになる」のにはそれこそ技術的な問題がたくさんあって途方もないことであるという視点もありますが、それよりも「弾く」にあたってのモチベーションは「音楽のこと」なのです。つまり、「ある程度弾ける」というのは、「どう弾くか」が自分の中でまとまっていないと、「ある程度」が設定できないはずなのです。音楽のことを考えてできる「あるべき姿」のイメージがないと練習できないはずなのです。

たぶん、幼いころから音楽に慣れ親しんでいる人や、和声感覚に優れている人は、別に考えなくても自然とそのハーモニーの成り行きや、起承転結やハプニングから生まれるうつろいを、和声理論を意識することなく音楽表現ができるのかもしれません。

でも私にとっては、どういう和音でできているかを理解することが、どう演奏するかを決める手段としてとても大きな支えになります。

英語を教えている友達が指摘してああ本当にそうだと思ったのですが、それは文法のようなもので、生まれた時からその言語の中で育っている人には文法を知らなくても上手にしゃべることができるのかもしれないけど、大きくなってから英語なら英語を勉強してコミュニケーションできるレベルまでなろうとするのであれば、やはり文法を勉強するのは不可欠でしょう。

でもそうやって英語なら英語をある程度習得すれば、ネイティブのように滑らかに話すことはできなくても大人としてコミュニケーションできるようになる。そして、人の話す言葉や書く文章も論理的な根拠をもって鑑賞できるようになる。自然に習得できる年齢を超えた場合にはそのような方法で学ぶほうがずっと速く確実なのではないでしょうか。

西洋音楽において、和声は文法のようなもので、作曲家はみなそれを意識して曲を書いているといって過言ではないでしょう。自分の恋愛沙汰を作品の中に反映させる人もいれば、まったく関係なく作品を作る人もいる中で、その作家の人生の悲喜こもごもを知る以上に、和声を読み解くことは作品の理解につながると思います。そして一緒にアンサンブルする人との共感も作りやすい。

そうそう、前はこの出だしはフェリーニの「そして船は行く」の船のイメージとか、そういうやり方で音楽を思っていたのでした。別にそう思うこと自体、悪くはないのかもしれませんが、一緒に弾いてくれる人にそのイメージを一緒に持ってもらうのはかなり難しいので、それを相手に言ってみることもしませんでした。

まあ、でもこの本を読むのはかなりしんどいです。しんどいというか、面倒くさい。譜例もでているのだけど、何小節目の何拍目のEと書かれているのを、譜面と付け合わせて確認して、また和音を自分の頭の中で鳴らしてみたり、ベースの動きなど、全部文章で書かれているのを、ひとつひとつ確認して(もちろん文章にすること自体はもっともっと大変なことだったと想像して感謝いたします)、やっと読み終わって、弾いてみると、「えーっと何だっけ?」って感じで、そのすべてを思い出しながら弾くのは大変です。

そしてまた、すべてが書かれているわけではない。これは演奏の手引書ではないし、当たりまえですが、音楽を理解する上での正解でもないです。ただ、考えるヒント、こうやって考えて譜面を読んでいくという方法を見せてもらっているというか、そういうものだと思います。

私もまだわからないことがいっぱいですが、バッハに限らず、楽譜を読むときに、ほんとにめんどくさいのだけど、とにかくわかるところだけでも和音のコードを書いてみて、緊張と弛緩、減七の和音の立ちはだかり方、カデンツとは結局何なんだろう、ここは事件です!、そんなことを考えながら、組み立てを見ていくと、ハイになってくるし、楽しい。それを音で描けたらどんなによいだろうかと思い、それが練習のモチベーションになる。またそういったことを具現化している素晴らしい演奏を聴くと感動する。

この本は、そういうきっかけ、刺激を与えてもらった本で、こんなにいろいろ言葉にしてもらっていることに感謝しています。



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