お正月の遊びは、女の子は羽根突き、男の子は凧あげ、コマ回しの遊びがあったと思いますが、すでにバドミントンにとって代わられていたように思います。木の羽子板で着物を着た女の子が描かれた子供用のものを2つか3つ持っていましたが、バドミントンのラケットのほうが弾力性もあって羽根も良く飛ぶので羽子板はカンコン言って音もそんなに好きじゃないし、お正月に1回くらいはしたかもしれませんが、あまり気が進みませんでした。 私は女の子だったけど凧あげでした。なぜかというと父が凧あげが好きだからです。子供は凧を持って走って、凧がひっくり返って地面に擦っていてもそのまま走り続けるようなそんな遊び方でしたが、父はひたすら高く上げることに関心がありました。近くの空き地に二人で行って、凧が小さい点になるほど高く上げました。私にはたまに持たせてもらうくらいで、とにかく父が好きなので、面白いところは全部取られていた気がします。隣の男の子のも父が上げてやっていました。
凧を売っているのを最近は見かけませんが、どこかに売っているのでしょうか。私のころは団地の青葉堂というたばこ、本、おもちゃを売っている店にぶら下がって売っていました。黄色いハチの凧、奴さんの凧、それから白地に赤い字で「龍」書いた四角い凧、この3種類くらいの紙の凧しかなかった気がします。そう言えばビニールでできたカイトという大きな三角形のを持っている男の子もいましたが、あんまりうまく上がらないという印象があります。この紙の凧を毎年新しいのを買ったように思います。
買ってくると足を付けるのです。足とは、凧につける細長い紙です。暮れには障子の張り替えをするので、その時に余った紙を凧の足にしていたと思います。こどものころも思ったけどなぜ足つきで売っていないのかは疑問です。蝉凧には1本、龍の四角いのには両脇に1つずつ2本付けた気がします。 私は大概黄色いハチを選んだように思います。
まずあげるときに私が凧を持って父が糸を引き、私が手を離すんだったと思います。高く上がると電線に堕ちそうになったり、隣であげている凧と絡みそうになったりして、そういう障害を乗り越えてずっと上げているのがよかったのでしょうか。
けっこう、寒空の下でいつまでもあげていたような気がします。風を受けて上がっていく凧の糸をひく弾力の感触と、冷たい冬の空と、電線と、枯草の野っ原は今でも覚えています。
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