吉松隆さんはまだあまり知られていない時にCDを聴いたことがあって、その時は何も感じなかったのですが(すみません)、その後あちこちでお名前を聴くようになって、アトム何とかという弦楽四重奏をYouTubeで聴いて「あ、いいな。」と思いました。
少し前から私は和声とか調性とか遅まきながら興味を持ち始めたのですが、きっかけは忘れてしまったのですがこの本を手にして読んでみて、面白かったです。
「そんなに簡単に考えていいの?」と思うような、ちょっといい加減なところもあるのですが、ポップな感じ(親切さ)とほどよいこだわりの感覚(マニアックさというか、真剣さ)の融合が、彼の魅力なのでしょうか。
音楽にも、この著書にもそれを感じました。
すごくいろいろ幅広く深い知識があって、この調性の話も日本の雅楽の旋法や、インドのチャクラの話にも、ひとっ飛び。
でもこんだけ知っているんだぞという感じではなく、かなり時間をかけてご自分のものとしたものが、軽々とした親しみやすい言葉で表現されていて、そして常に俯瞰的な科学的な視点もあって、読んでいて気持ちよかった。
勉強になりましたというより、魅力ある人と楽しい会話をした後の様な気分です。
《かくして、キリスト教からうまれた「単旋律の聖歌」は、1000年ほどかけて複数の声部を交錯させる「対位法」へと進化し、さらに700年ほどかけて「五線譜」というソフトを得て「和声(ハーモニー)」という概念へと到達した。 その間、楽器も........(略).....そして、18世紀にいたってようやく、そのすべてのノウハウを統一して、「クラシック音楽」の礎を確立する人物が現れる。 J.S.バッハ(1685-1750)である。》
1700年かけて少しずつ和声法ができたというより、ガーッとある時期に出来上がったイメージがありますね。そしてバッハがすでにずいぶん先まで一人でやってしまっているというのもあるし、そんなに長い間かかってできたのに200年で崩壊する。崩壊するというか、いろいろいじってもうそれ以上いけなくなる感じにしてしまった。
やっぱり、なーんか物事って「進化」のストーリーとは違ったふうに進むんじゃないかとここでも思いました。そんなことはこの本には書いてありませんが、私はそう思いました。
たぶんピアノだけやっていたら、和声や調性のことはそんなに気にしなかったかもしれないと思います。そんな楽器に付随する調性感のこととか、色と連動した話とか、うんうんという感じですごく目新しいことは無いけれど、なかなかここまで言葉上手に話してくれる人がいないので、楽しい時間でした。
《[ 日本の音楽は ]「流派」の中でのみ機能する「個の音楽」。そこでの楽譜は、むしろ他の流派の人間には読めないような書き方をしていることさえある。それぞれの楽器がどんな音を演奏しているか、という全体像が俯瞰できるようになったのは、西洋から五線譜が伝わった明治以降、というから徹底している。 しかし、このあたりが、公開し統一し進化してゆく「西洋」の考え方とは真逆の、日本的な考え方の面白さというべきだろうか。》
はいはいはい。どんどん内輪に入っていく傾向ありますよね、この国は。表にしたら(表が好きな私)いっぺんにわかることも散文でくるような傾向も強いように感じます。
もうひとつ真逆の話として、
《 [ 笙についての話 ] 西洋音楽では基音から上に密接した「倍音」が立ち上がってゆくのに対して、笙の和音は高音の密接した和音(ほとんどが2度音程)の下に基音が聴こえてくるような(全く逆の)響き方をする。 これは、主音が下からすべてを支えるという西洋式に対して、上から降りてくる倍音で主音を想像せよという真逆の発想。東洋思想の不思議さを感じさせちょっと面白い。》
観念が幼稚なわけではない。ここらへんが、西洋と東洋の話でどこでもでてくるのが面白いですね。西洋は人にわかるようにするシステムがすごいとも言える。
和声はシステムであり、そして心を動かすしくみでもある。
なんで、そう感じるのか。なんで緊張(ストレス)を感じるのか、何で弛緩を感じるのか。
そう言えば長三和音が初め日本人には不自然に聞こえてドミソのミがなかなかとれなかったという話もあった。
「そう育てられたから」というのも確かに強いのかもしれない。
和声とか調性の話をすると、「音楽はそんな難しく考えず心で奏でるものだ」「感性が大切だ」とかいう意見が絶対といっていいほど出てきて、はぁと思うのですが、
《音楽はどうしても「感覚」として主観的な記述にならざるを得ないが、それをどこまで「科学」として客観的に記述できるか。それが今後の「音楽の研究」の核になるに違いない。音楽は「感性」であると同時に「知性」なのだから。》
と書いてもらって、よかったです。
別に「感性」を否定しているわけではなく、「知性」も音楽の楽しみのひとつして考えたいだけなんです。
この本はどうして読もうと思ったか思い出せないのですが、今調べたら絶版になっていました。私は図書館で借りました。
あとがきを読むと、たぶん向けられるであろう批判もすべて予測しながら、入るべき話(楽典、楽器法、科学、歴史、西洋以外の音楽)を大胆にすべてわたり歩き、ある程度理論を知っている人も知らない人も相手にして、「調性」「和声(ハーモニー)」の魅力を1つの本で語ることに挑戦したことがうかがえます。その潔さが気持ちのよい本でした。
題名は一般的に目をひく俗っぽいものとなっていますが(きっと出版社の人が売れるように考えたのでしょうね。でもこのミスマッチが絶版の一因かもしれませんねぇ)、もっといい題名がありそうに思います。
面白かったです。
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