丸の内の美術館でやっているルドン展におととい行って、昨日も今日もルドンのことを想っています。
オディロン・ルドン(1840-1916)。ちゃんと見たのは初めてだったかもしれません。
最初の部屋で風景画のようなものに彩色されている、その色がすごくきれいだと驚きを感じながら、これはいいかもしれないと思いました。
やっぱり、絵は本当のものを、実際に空気を介して見ないとだめだと思いました。画集や写真やパソコンのディスプレイを介したものでは、色はわからないのです。現実と写真が違う以上に、絵画をその場で見るのと印刷されたものや画面で見るのとでは違うように思います。その理由はわかりません。どんなに精巧な印刷技術をもってもダメなのかどうかわからない。ただ、色彩とタッチの質感はまったくの平面で表現するには限界があるとは言えるのかもしれません。
ルドンという画家がいることは知っていました。少し興味を持ったのは、モーリス・ラヴェルが私は好きで彼の本とか見ていた時に、ラヴェルがルドンのことを好きだったか、何か題材をとったか、そのようなことが書いてあって、少し気になりましたが、よく「幻想的な作家」という感じで呼ばれる人たちにありがちな、お化けみたいなものとか気持ち悪い形をした顔や体とかそういうものに傾倒しているような、そして暗い感じで、それほど私自身は興味を持てなかった。すっきりとして透明なラヴェルがなぜルドンなんだろうとも思いました。
ふんわりとした空気感、ぼやっとしたタッチの上に、鮮やかでくっきりとした花びらともおしべめしべとも枝とも葉っぱとも蝶とも言える断片が舞い散っている。それらの色が素晴らしく、背景のぼんやりとのブレンド具合が非常によくって、すごい奥行きがある平面作品になっているのだ。
これは、色彩を使わない黒のみの表現でも言えて、光の使い方がうまい。
結局、絵画とは光がどう描かれているかということなのかと思いました。
あまり展覧会でのパネル説明はめんどうくさくて読まないのですが、ルドンのお兄さんは音楽家(バイオリニスト、作曲家? -IMSLPに作品がありました- )だったようで、ルドンも作曲家のショーソンとサロンでヴァイオリンとピアノで演奏したとちらっと書いてあったり、それから彼自身の言葉として「絵で描かれているものも、音楽のように『これは何(花、蝶)』といった具体的なものを描くのではなく、見る人によってどうとでも解釈できるものでありたい。」というようなことを言っていたようだ(私の読み方と記憶が合っていればですが)。確かに彼の絵は、他の作家の抽象絵画のことを思えばよっぽど具象的であるのだけれど、それが発するものは、目で見て楽しいもの、視覚的な喜びというより、その空間に触れたというか、その空気を味わえたという喜び、夢想の喜びであるように思う。だから、音楽を聴きながらの夢想と一致するような感覚に思われる。(うーん、その解説のせいで私がそう思ってしまっているのか、本当にそういうものがあるのかは難しいところではありますが。)
そして、さっきのショーソンとか、植物学者とか、詩人のボードレールとか、画家でない人たちからの影響や交流が多くあったようだし、ただ絵が好きで上手で描いていたというより、自分が言わなくてはいけないと思っている《世界》があって、それをいろんな人と確認しながら描くことが彼の一番の関心事であったのだと思う。
今までのルドンに対する私の印象としてあった暗い幻想、お化けのような絵もあるのだけど、そういう絵にありがちな汚さがこの人にはないと思いました。一つ目の顔にも品格があるのです。知性なのかな。
それで、私は勘違いしていました、私の印象は間違っていました、ごめんなさいということになったのです。
あるお城の食堂の壁画の展示があって、それが彼にとって初めての大きな絵だったそうだけど、「ほんとですか?」というほど、構成もその大きな平面の使い方も素晴らしかった。そんなに有名でないルドンにこの仕事を依頼した人(ロベール・ド・ドムシー男爵という人だそうです)もすごいと思いました。こんなお部屋で食事ができるなんてほんとうの贅沢だと思います。
その中で三菱が所蔵しているらしい《グラン・ブーケ》は別の階で展示されていましたが、そのお部屋には長い間いました。いつまで見ていても飽きない。暗い部屋だったのでもう少し明るいところで見てみたいとは思いましたが、何か理由があるのでしょう。
花瓶にさされた花は、そうではなく花瓶から湧き上がって溢れているのだとも言えるし、花瓶のそばで勝手に漂っているのもいるし、いや花じゃなくて蝶みたいなのもいる。花瓶はただ中心に青としてあるだけとも言える。
この絵の写真を一応付けますが、さっきも書きましたがこれも色はもっと素晴らしい発色です。
だからそれぞれの花たちというか断片はもっとひとつひとつが表情豊かであり、それでいてこの絵全体のバランスをぎりぎりのところで崩していない。そう、なんか、花が動いていると思ったんです。動いているんです。そして一つ一つゆっくり見ると、実は変なヤツがいる。前の部屋にあった一つ目小僧みたいなのとか、頭だけポロンとしているようなのとか。それらもすました顔して、この美しい優雅でふんわりとした空気感とくっきりと鮮やかなアクセントを持つ絵の中に入り込んでいる。それでもこの絵の持つ明るさ、抱擁感は絶品で、ああ何もかもがここには入っていて幸せって感じになる。
こんな絵もあるのだということを知った、そしてそのそばに居られた。素敵な時間でした。
出口のところにあったカタログや絵葉書はやっぱり色が違う。気に入った、白黒のかわいいあばら骨骸骨ちゃんのポストカードにしようかと思ったけど、それさえも何だか質感が違うような気がして、でもこの出会いの記念品が何か欲しくて、グラン・ブーケの部分を使ったキーホルダーが一番明るさの上でよかったのでそれを1つ思い出に買いました。
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