すみません、また肝心かなめの本題とは関係ないところなんですが、ウクライナ関係の報道を見ていて驚くのが、日本語の上手なウクライナ人が多いこと。
日本に住むウクライナ人とか、ウクライナにいる日本語を勉強している人とかがインタビューで日本語を話すのを聞いて、こんなにも日本語が上手なウクライナ人が多いことに驚きます。
というか、これもまたおばあちゃん発言である可能性が高く、日本語を話すウクライナ人が多いのではなく、ウクライナ人に限らず、日本語を上手に話す外国人の数は私が想像するより多いということでしょう。
私が子供のころは、まず「日本語は外国人には学習不能なほど難しい」と言われていて、ごく限られた才能のある外国人しか話すことができなかった記憶があります。その最後の世代がピーターバラカンかな。
たぶん、それはひとえに日本語教育のメソードがとても良くなったからなのではないかと想像します。
きちんとそのメソードで勉強すれば、こどものころに日本にいたとか、特別な語学の才能が無くても、日本語を話すことができるように今はなっているんじゃないかと。
ここ30年くらいの日本語教育の進歩は目覚ましいものがあるのでしょう。メソード作りに携わった人たちが優秀だったと思います。
それと比べて、弦楽器ってどうなのかなと思いました。
前にも書いたことがあるように思いますが、言語の習得と、演奏の習得ってけっこう似ていると思います。発音とか右手左手の使い方のような身体的動作があって、聞く力が必要で、リズム感も必要で、文法や和声のようなロジック的なものがあって、幼いころからその環境にあれば特に「学ぶ」ことをしなくてもかなり楽に習得できるけど大人になってからだとかなり努力が必要な点とか、そしてそれ自体は目的ではなく手段であるところまで。
私はチェロを大人になってから習い始めたけど、チェロよりもヴァイオリンはもっとかもしれないけど、弦楽器は「子供のころからやらないとダメ」みたいに言われていて、これはたぶん今もそう思われていると思います。
でも私がチェロを始めた後に、チェロブームとかあったようだし、そしてヴァイオリンも私がチェロを始めた時は大人になってからヴァイオリンを始める人、特に大学オケよりも後でヴァイオリンを始める人など皆無な感じだったけど、今はけっこういるようで、そこは世の中が変わってきたように感じます。
でもじゃあウクライナ人の日本語ほど目覚ましく、大人になってから弦楽器を始めた人の演奏レベルが高くなったかというと、どうでしょうか。
少なくともウクライナ人の日本語ほどではないように感じます。
それはなぜか?
それはやはり「弦楽器は子供のころからやらないとダメ」が真実であることを示しているということなんでしょうか?
私もチェロを大人になってから、しかも大学オケでもなく、社会人になってから初めました。
私の印象では、この30年くらい、やはりまず「大人になってからではダメ」という人々の考えは変わっていなくて、変えようという動きもなかったように感じます。つまり人々はそれを変えようという努力もしてこなかった。。。
つまり、真実かどうかの検証もしようとしていないというか。
これは教える側だけでなく習う側のマインドもそうであったんじゃないかと思います。
でも私の個人的な考えだけれども、そうやって諦めるというより、もしかしたら、日本語の習得の様に、改善の余地はけっこうあるのではないかと感じるのです。
もちろん子供のころからやるに越したことはないけれど、それでも「ダメ」に留まるのではなく、何か方法があるのではないかと思うし、まあ幻覚かもしれないけど、あまり公けに言われてはいないけど習得に効果があると思われることはいろいろ断片的に存在する気もします。
弦楽器も大人になってから始めても、かなりのレベルまで習得可能ということになるかもしれないと。
これはかなりのチャレンジであることはわかるけど、でもやはりそう信じたいです。
**************************************
ヴァイオリンという楽器を演奏することがどれくらい難しいかは私はわからないのですが、チェロに関して感じるのは、確かに簡単な楽器ではないけれど、大人になってから始めたアマチュア奏者でも、ちゃんとした手続きを踏めば、それほど才能は無くてももう少しある程度しっかりと楽器が弾けるようになるんじゃないかと感じます。
楽器演奏と音楽の演奏という風に、ちょっと分けて考えた場合に、楽器演奏の技術の習得というのはそれほど天才である必要はないように思うのです。魅力ある音楽の演奏をするには確かに才能が必要かもしれません。違うかな。
日本語の習得はメソードさえちゃんとしていれば特別な才能は必要ないけど、魅力的な文学作品を書いたり、人々を動かすプロパガンダを考えたりするのには才能が必要なように。
世界的なソリストになれるほどの特別な才能がなかった人たちが放置されているのはもったいないですよね。
楽器演奏は手段なので、もう少し大人になってから始めてもちゃんと弾けるようになるよいメソードができれば、クラシック音楽界ももっと豊かな感じになると思うのです。
先生も生徒も諦めないでほしい。
例えばスズキヴァイオリンのメソードとか、そこらへんの研究はしているのでしょうかね。大人になってから始めるヴァイオリンはどう習得すべきかという。。。教則本を見る限りでは、もう何十年も止まったままじゃないかしらね。世の中は変わっているのに。
こどもと大人ということに関して言うと、私の今までの経験で感じるのは、チェロを弾くのにこんなに不自然な手の使い方をするとは思わなかったということです。子供だとそんなものかと思って、体が楽器に合わせた動きをするのだけど、ある程度体を使ってしまった大人にとってはすごい違和感なのではないかと思います。
でもある程度ロジカルにそこが説明されれば、文法のようなものが説明されれば、かなり今よりも改善されるように感じるんです。
0コメント