ここまで来て思ったのは、難解な文章を読むような曲だったということだ。
難解な文章には二通りあって、1つは無意味に難解な文章(ただわかりにくいだけで内容はない)、もう1つはその難解な文章でしか語れないものが語られている場合。後者はすべてが理解できなくても心地よい。
フランチェスコ・ジェミニアーニ。
今年になって初めて弾いたジェミニアーニ、2つ目のチェロソナタ、2番のd-mollはすごく時間がかかった。着手するのが遅すぎたのもあるけれど、けっこう練習している割になんだかいつまでたっても身に着かないという感じだった。話の切れ目がわからないというか、まとまりをつけにくいというか、まとめられるのを拒んでいるようなそんな感じがした。
少し弾いてみて好きになったとき、この曲の魅力は、貴高さ、高貴な美しさというか、”noble”という外国語が思い浮かぶような凛としたものだと思った。
練習し始めて、こちらから「ああですか?こうですか?」と問いかけるけど、それに対して曲は黙っているか、そっけない返事しかくれない。なかなかすぐには入れてくれない。
でもあるときふと、お皿を洗っていると、1楽章の冒頭が自分の中で何度も鳴っているのに気が付いた。そのとき「曲のほうから誘ってきた」と思った。今までいろいろな曲を練習してきたけど、初めてそう思ったのが面白かった。「弾かれることを待っている」と感じた。向こうから声をかけられたような感触があった。まあ、それはあまり有名な曲じゃないからかもしれない。曲のほうが暇にしているのかもしれない。(たとえばバッハの無伴奏組曲の1番のプレリュードだったらたぶん世界のどこかで誰かが必ず弾いているから超多忙だ。)
でも呼ばれたからと言って練習し始めれば決して好意的ではなく、なかなかうまく行かない。貴高さとは人を寄せ付けないということでもあったのかもしれないし、ただ単に私のほうの問題なのかもしれない。
まず覚えられない。暗譜というのではなく、楽譜を見ながらでもある程度音の並びを覚えて、それをどう弾きたいかを覚えておかなくては弾けないけど、なかなかまず音が覚えられなかった。そんなに難しいフレーズがあるわけでもないのに、歳のせいなのか、とにかく不思議なほどただ止まらず弾くことが他の曲に比べてえらく大変だった(今でも大変ともいえるけど)。
そして、明後日、発表会本番なのだけど、2-3日前からやっと曲が少し身についてきた。そうすると弾いていてもいろいろと語り出して、イメージもできてきた。
それはやっぱり他の曲にはないようなものでもあった。どの楽章にも何だかえらく強引な感じがある。そう思ったらその気になれて、弾いていてすごく面白い。きっとまだいろいろあるのだろうけど、今回はそういうことで時間切れの部分も大きいけど、でもやってよかった。
ジェミニアーニ、2曲目でより一層好きになったし、興味深く思うようになった。
思えば、コロナが来なければなかったこの出会いはなかったかもしれなくて、それもまた面白い。
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